2007年7月10日火曜日

夕日

7月10日(火)
今日は、午前中に4時間(日本語主専攻1年生のクラス)、
午後4時間(副専攻ビジネス英語3年生のクラス)2クラスの授業がありました。
午前中の授業は、朝8時半から始まります。
今年の1年生はとても真面目で、授業開始5分前もしくは時間きっかりに来ます。
そして、今日、時間と曜日、起きます・寝ます・勉強します・休みます・終わります・読みます・食べますなどの動詞を勉強しました。

新しい言葉は、何度も繰り返し意識して使わないと身につかないように思います。
これは私自身にも言えることで、タイにいる以上必然的にタイ語を話さなくては生活できません。
しかも、シーサケットはタイの東北に位置し、東北弁の『イサーン語』とラオス語とカンボジア語が日常的に話されている地域です。
普段、学生たちのおしゃべりを聞いていると、彼らはほとんどイサーン語とラオス語で、何を話しているのかわかりません。イサーン語は、日本で言うところの『津軽弁』とでも言いましょうか。
私自身、出身が青森なので津軽弁は得意中の得意です。共通語を話すときよりも津軽弁を話しているときのほうが楽で、心の扉も全開になっている気がします。タイ語もイサーン語もラオス語も、まだまだ話すのは下手ですが、心は全開に近くなりつつあります。因みに、授業ではもちろん学生と話すときは共通語ですよ。 
写真は、木の実と寮から見えた今日の夕日です。
大学は緑に囲まれ、見える限りどこまでも緑が続いています。
夕日はほんの5、6分の間に次々と表情を変え、あまりの美しさに見とれてしまいました。
心の扉、全開です。
夕日

夕日1

夕日2

夕日3

夕日4
木の実は『カオマオ』という名前で、食べられます。帰宅途中、大学の寮の前で偶然すれ違った学生がくれました。ご覧のように、実は米粒位の大きさで、中に小さい種があって、すっぱい味がします。私はこれを洗わずに食べちゃいました!!大丈夫かなあ~。

2007年7月6日金曜日

瞑想合宿

瞑想2

瞑想

今日から3日間、新入生を対象にした瞑想会が大学構内で行われ、初日の今日、私も開会式に行って来ました。瞑想会は毎年行われており、シーサケットの郊外にあるお寺のお坊さん4名が大学に来て大学で2泊3日寝泊りしながら指導してくださいます。
さて、今日は朝8時から図書館棟の五階で開会式があるということで、8時前に館内のエレベーターに乗って会場へ向かったところ、そこでちょっとしたハプニングが起きました。乗り合わせた学生は男子が5人、女子が10人ほどで教師は私一人です。 女子学生A「日本人の先生だよ。みんな挨拶して。ほらほら、はやく。」
私「あ。おはよう。サワディーカー!」
男子学生B「おお。先生。」
男子学生C「・・。」(ちらっとこちらを振り返り、照れくさそうにニコニコしながら目で挨拶。) とまあ、そうこうしているちに五階に着いたので皆、エレベーターから降りる準備をして扉が開くのを待っていたところ、なんと扉が開かないではありませんか。 学生たちも私も突然の出来事にびっくりです。   一番丈夫そうな体つきの男子学生が、扉をむりやり開けようとしたものの、一瞬、5センチほど開いてすぐ閉じてしまいました。しかも、その5センチの隙間から見えた景色は暗闇。それを見て皆が一同に「え!ここはどこ~?!」「なんで~。」「どうなってんの?」等など言いながら、女子学生が男子に非常ベルを鳴らすように指示して、非常ベルを鳴らすも誰も応答なし。鳴らしたところで、誰がどこで動いてくれるのだろう。 非常ベルがだめだったので、そのボタンの横にある電話マークのボタンを他の学生が押してみたけれど、案の定、応答なし。大学にエレベーター担当の人がいるなんて見たことも聞いた事もありません。 他の学生が、五階ではなく四階のボタンを押してみたりもしたものの、うんともすんともいいません。しばらく沈黙が続き、待つのもなんなので、私は携帯電話で外にいる先生に連絡をすることに。そしてかばんから電話を取り出そうとした瞬間、突然、扉ががっと開いたのです。狭い空間に閉じ込められた開放感から、私たちは喜びの歓声をあげながら外へ出たのでした。何もなくてよかったよかった。

2007年6月28日木曜日

ワイクルー

ワイクルー

今日は学生が教師に感謝の気持ちを伝える式典『ワーイクルー』の日です。

ワーイクルーの“ワーイ”とは、合掌をして挨拶をするという意味で、“クルー”は教師のことを言います。タイでは毎年、全国どこの学校でも行われており、ここシーサケット・ラジャパット大学でも朝から厳かに、教師に感謝しますというワイクルーの歌とともに式典が執り行われました。

ワイクルーでは、学生たちが前日、教師に贈るための盛花を手作りで制作します。

日本語学科でも、今年1年生が盛花を作ってくれました。ちなみに、この花は各学科の学生らがお金を出し合って作っていて、花のほかにスイカやパイナップル、バナナの葉のようなタイらしいものや、学部によってはカメラ、CD、鉛筆、ペン、ろうそくなど様々なものが使われていたりと、先生方の目を楽しませてくれました。

ワイクルー

ワイクルー

ワイクルー

2007年6月11日月曜日

美智子さん

新学期が始まって今日で1週間。

日本語学科では、今学期から家庭の事情で大学に来られなくなった2年生の男子学生がいます。彼の名はT君。日本語学科の学生はみんな日本名を持っていて、T君の日本名は “美智子”という名前で、私は彼を“美智子さん”と呼んでいます。

美智子さんはクラスの中では日本語の成績も良く、去年、彼は女子寮にある美容院でアルバイトをしながら大学に通っていました。また、勉強のほかに踊りも上手で、大学のイベントがあると必ず華やかな衣装を身にまとい、お化粧もばっちりきめてタイ舞踊などを踊ってくれる学生でした。

そんな美智子さんが大学をやめて、来週からバンコクで働くらしいという噂を聞きつけた私は彼を職員室に呼んで、今後どうするのかを話し合うことにしました。他の学生によると、彼の両親は稲作農家で、事情により今年から学費が支払えなくなったとのこと。

大学の学費は年間1万バーツ必要です(日本円で約3万円)。1万バーツだったら、資金援助できるかもしれないなあと考えていましたが、今日のいでたちは、この前会った時と違うヘアスタイルで、しかも、かわいい女子学生の制服を着て登場。美智子さんと話をしているうちに、学費が支払えないわりに携帯電話を2台持っていることが判明。

どうしたものかと頭を抱える私をよそに、彼はひと通り私の話を聞いた後、明るくこう言ったのでした。「佐藤先生、ありがとうございます。でも、マイペンライ!先生、私は大丈夫です。バンコクで働きます。そして、お金を貯めて、もう一度この大学に戻ってきます。」と。

美智子さん

2007年6月6日水曜日

日本語教師日記

こんにちは。佐藤隆子です。
私は現在、タイのシーサケット・ラジャパット大学で日本語を教えています。
こちらに来て、今年で2年目になります。

大学では、日本語学科主専攻クラスと副専攻クラス、選択クラス、土日対象の社会人クラスの授業があり、日本語のできるタイ人の先生と二人でクラスを受け持っています。

今年の日本語学科主専攻の新入生は8人!みんな、とてもかわいいです。
タイでは、大学の新学期はどこもだいたい6月から始まります。
私たちの大学も6月4日から始まりました。

先週は学生寮で新入生歓迎会と始業式がありました。

ちなみに、入学式や始業式など大学の行事日程や、授業の時間割などの発表は、
2~3日前か当日直前に知らされます。

時間割は新学期が始まってからも間違いが多く、確定していないため、最初の1週間は各教科の先生方がそれぞれ調整して、ようやくまともな時間割ができるといった具合です。

タイのことを全くご存知でない方は驚かれるかもしれませんね。

もし、読者の皆さまがこのような事態に遭遇したらどうされるでしょうか?
困った事ではありますが、しかしここはタイ。

ここは怒らず、文句を言う前に笑顔で「マイペンライ!(大丈夫。気にするな。)」と言ってみましょう。間違いがあれば、訂正するだけのこと。
色いろ問題があっても、なんとかなっていますね~。
とりあえず、いつもそうしています。

2007年5月20日日曜日

タイの踊り

踊り1

5月19日(土)20日(日)にカルフールで先輩達と6人でタイの踊りをしました。

その踊りを教えてもらうために東京から来た先生に17日と18日の二日間踊りを教えてもらいました。踊りの練習場所は北千里にある『太陽の家』という所で、私はその場所は全然分かりませんが、自分で行ってみました。

梅田駅(阪急電車)から北千里駅まで行って、小野原南までバスに乗って行きました。始めて日本のバスに乗ったので、どうすればいいかわからりませんでした。バスの乗車口に箱があったので、お金を入れるところを探しましたが、なかったのでドキドキしながら座席に座りました。

でも、心配になり隣のおばさんに聞くと、降りる前に、運転手さんの所でお金を払ってください・・・、と教えてくれました。ほっとしました。バスを降りて地図を見ながらやっと施設に着きました。疲れましたが日本のバスの乗り方が分かって勉強になりました。


踊り2

2007年5月4日金曜日

タイの田舎を思い出した日

2007年5月4日(金曜日)

芦屋浜芦屋浜2

今日私は、八軒先生とスーちゃんと、足のケガで松葉杖をついている里香さんと一緒に「芦屋浜」という所へ連れて行ってもらい、楽しい時間を過ごしました。

そこでは、海に遊びに来る家族を見ました。その時、自分の家族を思いました。それから、初めて足湯温泉を体験しました。いいですねえ。その場所は皆が集まってきます。たぶん、日本の昔からの習慣で、自然の温泉で村の人たちが集まって、色々相談をしたんでしょうね。

自分の国と比べてみると、ちょっと同じかなあと思います。タイでは、温泉がないんですけど、寒い時などは、田舎の村の人たちが集まって、火を起こして、皆がいろいろな話をしたり、相談したりします。良いコミュニケーションの場所だと思いました。

ところで、私は、隣に座っているおばあさんに話しかけてみました。おばあさんは、優しそうに話してくれました。そしておばあさんの家族とも次々に話せました。それからまえから知っていた人の様に、話の輪が広がって私とおばあさん、おじいさん、おばあさんの2人の娘さん、八軒先生、スーちゃん。人がだんだん大きいグループになってきて、もっと楽しくなりました。でも、4時になって、もう終わる時間でした。私達も帰りました。

足湯温泉のところの近くの海は、きれいな景色でした。そこでは、魚のダンスを見ました。かわいい魚がすっごいジャンプして、『かわいいでしょ?』 とか、『いい天気だね~』 とか、『また、関西スーパーでね~』 とか、『また、晩ご飯でね~』 などと挨拶しているように聞こえました。

皆さんは魚を見る時、魚の声が聞こえますか?

2007年5月1日火曜日

ぺーの富山大冒険





この日私は、タイで知り合った友人に会うため富山県に行きました。
自分でJRに乗って、富山県(高岡)まで。

JR大阪駅は広いですし、キップ販売機が全部漢字を使いますので、ドキドキでした。色々初めての体験ですから、ちょっと怖かったです。でも考えてみると、まず乗り物(電車)のことを勉強していないと、もっと難しいことを勉強できないだろうと思い、頑張ってみました。

無事に高岡についてみると、高岡の景色(山、川)は、きれいでした。特に、雪がまだ残っている山がとてもきれいでした。タイは雪がないから、たぶん違うタイ人が見たら、皆が好きになると思います。それから、高岡のおいしい魚(生魚)すしを食べました。特に私の大好きなウナギも食べられました。味はほかのところよりおいしいと思いました。

それに、もっとうれしいことがありました。、友達のご家族(お母さん、お姉さん)は、前にタイという国の話を聞いたことがあるけど、遊びに行く気持ちがなかった、と言っていました。でも私と話して、タイのきれいな海、有名なところなど色々説明していたら、皆が楽しい顔になって(にこにこ)、「タイに遊びに行きたい~」と言いました。私はとてもうれしくなりました。

帰り、友達から「ます寿司」のお土産をもらいました。八軒先生や、スーちゃん達と食べて、とてもおいしかったです。皆さんは「ます寿司」が好きですか?

2007年4月29日日曜日

ゴールデンウイークって?

Golden Week holidays

連休の始めに私は、USJに連れて行ってもらいました。

まず、大好きな場所に走って行きました。すごい人で驚きました。10:30~12:00まで待っていて、5分だけBack to the Future(バック・トゥ・ザ・フューチャー)乗れました。

次はE.T. Adventure (E.T. アドベンチャー) 1時間待ちました。でもここは10分間だけ待てば中に入れました。

次はスーちゃんが乗りたい乗り物『ジュラシック・パーク・ザ・ライド』です。ここはすごい並びました。13:30~17:20まで5時間くらい待って、5分間だけ乗れました。とても疲れました!私たちの他に沢山の家族が順番を待っていました。でも、本当に疲れました。

もう、Golden Weekの時は、そういう場所で遊ばない方がいいなあと思いました。

最後に、Peter Pan`s Neverland(ピーターパンのショウ!)。 6時から待っていた時、USJのスタッフは後30分お待ちくださいと言いましが、6時半になって、違うUSJのスタッフが来て、あと30分お待ちくださいと同じ事を言いまた。・・・・(何で?)ずっと待っていて、始まりは8時でした。9時半まででした。楽しかったですが、疲れましたよ。

もう一度、Golden Weekの時、そういう場所に行かない方がいいなあと思いました。

2007年4月15日日曜日

ミス・ソンクラーン

Songkran Festival(ソンクラーン祭り)というタイのお祭りがあります。
昔からの行事でタイのお正月のお祝いです。

タイでは、一年中あついですけど、特に毎年一番あついのは4月と言われています。
ですから、毎年4月13日~15日タイでは、どこでも水をかけたり、美人コンテストを行ったりするお祭りがあります。

ある日私は、大阪の扇町公園でソンクラーン祭りがあると先輩から聞きました。
美人コンテストや、歌のコンテストもあります。今回私は、美人コンテストに出場してみました。タイの民族衣装は,数枚タイから持ってきていました。

午後3時頃から準備しました。ドキドキでした。なぜなら私は、今までタイで毎年参加していてもこんなコンテストには出たことがないんですから。エントリーしたのは、全員で16人でした。
(タイ人9人、日本人7人)

まず、一人ずつ舞台に立ち自分紹介をしました。
次に審査員の質問に答える面接(INTERVIEW)が有りました。私の順番が来たとき審査員から「日本の好きな食べ物は?」の質問ですぐに「たこ焼きです!」。と答え笑われました。

次の質問は「日本人にタイのお勧めの場所は何処ですか?」でした。
「タイの海です。例えば、プーケット島、サメット島、Etc.・・・・とてもきれいですよ。特にプーケット島は、津波があった後、前よりもっときれいと言われてります。是非、タイの海へ行ってみてください。と皆様を誘いました。

結果は、3位でした。
1,2位は日本人です。舞台にいる時、とても寒かったです。でも、楽しかったです。
いい経験だなあと思いました。

ソンクーラン


●右 ペーちゃんです。

●左 スーちゃんです。


また、11月にはLoi krathong Festival(ローイクラトン祭り)美人コンテスト、歌コンテストもあります。次は歌コンテストに挑戦しようと思っています。
今から、11月ロイクラトン祭りを楽しみにしています。

2007年4月13日金曜日

Unluckyの日の乗り換えにて

ヨーロッパの方は、13日金曜日が『UNLUCKY DAY』と言われています。
私は、それは信じていなかったのですが、今日始めて自分でも体験しました。

その日、学校が終わり、私は、梅田駅で地下鉄から阪神電車に乗り換えるのですが、出口を間違えてしまったのです。その時困ってしまったのですが、先ずは自分で探してみようとウロウロしました。しかし15分~20分かかっても、阪神電車の駅に行けなかったのです。

私は、だんだん不安になりましたが、近くの駅のスタッフ(駅員)に聞きました。
日本語で「阪神梅田駅はどこですか?」と聞いたのですが、彼は『むこうに案内地図があるから、自分で調べてください!』と言いました。私は、びっくりしました。

どうして、親切に教えてくれないの?日本ってそんなに冷たいのかな?・・困っている人に教えるのは・・・そんなに大変ではないはずでしょう、どうして・・・そう言うこと言うのかなあ~信じられない!と思うと、だんだん腹が立ってきましたが、周りの人は忙しそうに歩いているので誰にも頼れないし、泣きそうでしたが、自分で頑張らなければともう一度よく見て歩いて行ってようやく、阪神電車梅田駅にとどりついたのでした。 

家に帰った後、すぐに八軒先生にその事を話しました。
先生は「世の中には色々な人がいます。親切な良い人も居るけど、そうじゃない人だって居るものですよ・・・でもぺーちゃん良く考えてね、全部悪いのではないでしょう~。それだから自分で一生懸命探してみたでしょう?その駅員さんは、ぺーちゃんの事外国人だと思わなかったかもしれませんよ!」と教えてくれました。

それで、あの日よく考えて、自分で探して、良かったなあ~と思いました。勉強できますし、我慢の勉強も~『勉強以外、勉強』勉強したくないことも勉強しなければなりません。
最後に、今から、13日金曜日、特に気をつけよう!と思いました。

2007年4月3日火曜日

はじめまして

はじめまして、私はジェサダポーンと申します。

ニックネームはぺーです。私は、大学で日本語を勉強しました。
しかしどうしても、もっと日本語を勉強したくて、日本へ行きたかったのです。
それで私は、昨年一年間は、一生懸命に日系ホテルで働いて日本へ来るために資金を貯めることにしたのでした。

そして、ついに今年4月3日念願の日本へ来たのでした。